シニアNavi 岡山 vol.09 2013年春号
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戦が終結したときで、平和になると思われていたのですが、 逆に小競り合いが増えてしまった。一番大きなものが1990年の湾岸戦争。他にも、パレスチナ紛争、ソマリア、ルワンダ、サラエボと紛争の連続でした。その取材で、カイロにいたのは任期3年の3分の1。湾岸戦争の時は、戒律が厳しいサウジアラビアに6カ月間入りっぱなし。当時は、1日4回ほどニュース番組でリポートしていましたが、現地ではピュッと音がして弾が飛んでくることも。そんな過酷な状況でしたが、私のリポートはカイロのテレビでは放映されませんし、紛争地では全く連絡がつかないので、家族とは、互いに心配のしようもありませんでした。 最も残酷であったのは、ベルギーの植民地であったルワンダ。100万人もがナタを使って虐殺されたと言われています。この惨劇は、植民地主義がもたらしたものです。しかし、アメリカやヨーロッパは植民地を持っていましたから、そういう報道はしません。日本人の視点で国際報道を行うことは、思った以上に重要なことでした。 わが社は2012年の3月までA.ゴルフと釣りですね。報道局長になってからですから、ゴルフを始めたのは遅い方でした。最初は、あまり良いイメージを抱いていなかったのですが、地域に雇用の機会を与えているということを聞いて、考えが変わりました。何よりゴルフは敵が自分しかいないというのが面白いですね。そのショットを打ったのは、誰のせいでもなく自己責任です。 釣りは「探り釣り」といって、長く軽い竿で、小さいおもりとエサをつけるだけという釣りを楽しんでいます。今は、あまり行けませんが、一番のストレス解消になりますね。A.ラジオやテレビでドキュメンタリーを制作したり、TBS報道特集のキャスターを務めたりしましたが、仕事の中でも一番激烈だったのが、カイロ支局長時代の湾岸戦争取材。中東では、幾人かの仲間を失いました。 海外特派員になったのは43歳の時。家族は一緒というのが持論でしたので、妻と子を伴ってカイロに赴任しました。ちょうど米ソの冷40年間13人の支局員を出し続けましたが、犠牲者は一人もおりません。国内エリアで地道に続けた取材がアラブで生かされ、逆に国際的な取材が地元の仕事で生かされました。国際報道と国内エリアの報道は、どこかで確かにつながっています。A.外国では、第一線で活躍するシニアの記者が必ずいます。生涯一記者、現場で終えるという方も少なくありません。世の中を深く理解しているシニアの視点で報道を行うことが大切なのはいうまでもありません。ところが、日本では国際報道で活躍しているのは若い人ばかりです。 もう一度、海外取材を行いたいという気持ちはあるのですが、体力が続かないでしょうね。体力維持のために、毎朝50分歩いて会社に通っていますが、歩いていると、いろんなものが見えてきます。歩くリズムで街を見ると、人間的な感覚を磨くことができるようです。同じように、物事がよく分かる年になってからの旅は、さまざまな物語が見えてきますね。シニアになってからこそ楽しめる、人生を味わう旅があるはずです。 シニアのみなさんには、何より次の世代に正確に伝えるという作業をやって欲しいですね。自分の生きてきた道のりや岡山の伝承をきちんと伝えていただきたい。本気で伝えようとすれば、若い人も聞く耳を持つはずです。今の若者は、人の話を聞いてイメージをふくらませることができない。現在の教育では、イメージをわかせて、人の悲しみや痛みを受け取ることができないのです。そこで、シニア世代から若者へ、感性のリレーを行ってほしいと願っています。一年中真夏のような中東とは違い、日本は四季があり叙情豊かで、平和な国です。この美しい日本を守るためにも、シニア世代の活躍を望みます。原 憲一氏 プロフィール 1947年5月27日 生まれ(65歳)1970年1990年2002年2003年2007年2008年2011年Q.趣味といえばQ.仕事についてQ.シニア世代へ  メッセージ リレーインタビュー/2011年創刊〈春号〉 石井正弘氏(岡山県知事)→〈夏号〉末長範彦氏(岡山トヨペット株式会社)→〈秋号〉小嶋光信氏(両備ホールディングス株式会社)→2012年        →〈夏号〉大久保憲作氏(倉敷木材株式会社)→〈秋号〉上岡美保子氏(元ジェトロ・ストックホルム事務所長)→〈冬号〉高田武子氏(Western Piano ムジカクラブ、山陽放送株式会社入社JNNカイロ支局長山陽放送株式会社報道制作局長同 取締役報道局長同 常務取締役報道制作局長同 常務取締役同 代表取締役社長(現任)はら けんいち13シニア世代にエール

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