シニアNavi 岡山 vol.09 2013年春号
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 岡山には、ここ「宗忠神社」がありますが、これに先立ち建立されたのが京都の「神楽岡・宗忠神社」です。私の先祖、黒住教の教祖である黒住宗忠は、この地、大元で生まれ育ちました。黒住家は、1キロほど西にある今村宮の神職を代々務めておりましたが、宗忠の厳しい体験が立教につながります。具体的には、文化十一年(一八一四)十一月十一日の冬至の朝日を拝み、万物の神である天照大御神と一体の境地となったとされています。これが黒住教の立教であり、来年で二百年となります。その昇天後は、高弟である赤木忠春の活躍により、教えは孝明天皇の知るところとなり、「宗忠大明神」の神号を賜ります。そして、文久二年(一八六二)に「神楽岡・宗忠神社」が創建され、孝明天皇が唯一定められた勅願所となるわけです。 この京都「神楽岡・宗忠神社」には、孝明天皇をはじめ、孝明天皇のお后のご尊父にあたる関白九條尚忠公、最後の関白である公武合体派の二條齊敬公、そして尊王攘夷派の若き三條實美公の入信の詞などが残されており、敵味方相和して、「宗忠神社」を信奉していたことが分かります。 また、長州藩と幕府側の諸藩が戦った「蛤御門の変(禁門の変)」では、齊敬公ら側近の重臣方が、孝明天皇が御動座(天皇陛下が他へ動かれること)なさるべきかどうかを「宗忠大明神」に尋ねたころ、赤木高弟が「御動座ご無用!」とお答えになったと伝えられています。もし、孝明天皇が皇居から移られたとしたら…。戦いはさらに壮絶なものとなり、京都を火の海にするだけでなく、西洋列強が日本に踏み込むきっかけになっていたかもしれません。ここにも有り難いご神慮を感じます。 さて、黒住教は昇る朝日を拝む「日拝(にっぱい)」の宗教。日の出を拝むことで、感動と感謝の気持ちを日々新たにいたします。また教祖は自らを戒めるための七カ条をしたためておられますが、その締めくくりの歌は「立ち向こう人の心は鏡なり己が姿を移してやみん」というもの。この「移しては」、「映す」という文字ではありません。「出会う人の心を鏡として自分自身を常に反省し、自分の心を相手の立場に移して、思いやる心が大切である」と説いているのです。「相手を思いやる心」こそ、今日の日本人が忘れてはならないもの。それを新たに思い起こしていただきたい式年遷宮の今年です。いのうえPresentsこころ通信プラス<空メール送信>wa@mgmgmg.jp「日本の神を思う」こころがほっと、元気に過ごせるひとことメッセージを毎朝8時に、メールで配信!岡山のお寺のご住職、神社の宮司様の心あたたまる言葉であなたのこころに愛をそそいでみませんか?エヴァホール100周年限定企画メルマガ会員募集<QRコード登録>登録は簡単!無料お好きな方法どちらかでふるさと社寺巡り神霊が鎮まるという神域には、清らかな力が満ちています。明日への勇気がわいてきます。宗忠神社(通称・大元神社)「宗忠神社」は、朝廷より「宗忠大明神」の神号を賜った黒住宗忠公をおまつりし、明治18年(1885)に創建されました。境内には、本殿、拝殿や武道館、研修館があり、学問向上、家内円満、病気平癒、事業繁栄の「開運の神様」として、多くの人々が参拝に訪れています。岡山の春を彩る代表的なお祭り「御神幸」は、「宗忠神社」の春の行事(4月第1日曜日、今年は7日)。また、前日には春季大祭が行われます。平成二十五年は、二十年ごとに全ての社殿を新たに造り替えるという第六十二回「伊勢神宮式年遷宮」の年。わたしたち日本人にとって、心改まる感謝の年といってもよいでしょう。そこで、今回は、来年立教二百年を迎える黒住教の霊地、岡山市北区の「宗忠神社」をお訪ねしました。お話をくださったのは、「宗忠神社」の宮司である黒住忠親さんです。むねただひさただなりゆきさねとみしんりょパワーVol.3宗忠神社/岡山市北区上中野1丁目3-10TEL.086-241-0148 http://www.munetada.jp御神幸日拝所日拝所鳥居・拝殿鳥居・拝殿御神幸感謝のみちしるべ感謝の道しるべ20

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