シニアNavi 岡山 vol.16 2014年冬号
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 わたしは京都の花園大学に進学し、そこで偉大なお二人の恩師に出会いました。お一人は山田無文老師であり、もうお一人が河野太通老師です。お二人とも花園大学の学長、そして、臨済宗大本山妙心寺派の管長猊下に就任されるなど、いわば禅宗の名僧と呼べる方々であり、このお二人がわたしを禅の世界に導いてくださいました。その教えを4年間受けた後、私は家業である葬儀社を継ぐべく、岡山に戻って参りました。やがて、株式会社いのうえの社長になり、いのうえグループの代表となりましたが、お二人の禅の教えは、私の生き方や経営を導いてくださったと感じています。偉大な恩師お二人からご教授いただいた禅の思想は、今でもわたしの経営マネジメントの根幹を支えるものです。禅は、実践哲学であり、 心のありようを指し示す道。この世を生きるために必要な教えが禅にはたくさんあります。 私は四年前に得度をいたしました。通常であれば、得度とは出家をして僧侶になることをいうのですが、わたしは現世を離れてしまったわけではありません。日常生活や会社経営をし続けながら、禅の思想が、わたしをさらなる世界へ導いてくれることを体感しております。 それでは、禅の教えとはどういうものでしょうか。もちろん、それは言葉では到底表すことのできないものですが、その教えの根本にあるひとつが「不二一如」の価値観です。「不二一如」とは、「全て真実の姿はひとつ」であるという意味です。あなたはあなたであり、わたしはわたしであり、わたしはあなたではなく、あなたはわたしではないが、けれども異なりつつ、一つであるという考えです。 恩師、河野太通老師は、二〇〇四年から龍門寺の住職を務めておられます。広く一般の人々にも禅の思想にふれていただく機会を得てもらおうと、この寺を「大衆禅道場」といたしました。本来、禅道場というのは「僧堂」です。つまり、完璧に社会から隔離して僧侶として非常に厳しい修行を重ねる場所です。しかし、「大衆禅道場」はそれほど厳しいものではなく、禅の心というものをいわばシニア世代の知恵者たちに知っていただこうという道場です。 禅宗というのは、唯一教義を持たない宗派です。各人が実践し、感じて発見することが大切だというわけです。そのため、教義にとらわれず、それぞれの生き方に応じて自分自身を高めることもできるわけです。例えば、何かの問いに対し、答えがAでなければならないのではなく、Aもあり、Bも、Cもあります。その上にDもありますよ。といった考え方ですから、型や枠に入る必要がないので、多くの人が学ぶことができるというわけです。 太通老師が感じておられるように、現在は僧侶以外の人々にも禅の考え方が必要とされている時代ではないでしょうか。なぜなら多くの人々が心を病んでいるからです。偏差年末年始特集インタビュー大衆禅道場異なりつつも一つふにいちにょ共に生きる幸せ「不二一如」の価値観こうのたいつうやまだむもんふにいちにょ※1※1 臨済宗妙心寺派 龍門寺臨済宗妙心寺派の禅刹で、盤珪国師の根本道場として、寛文元(1661年)に創建される。姫路市指定重要文化財。所在地・兵庫県姫路市網干区浜田812 Okayama Human Talk24

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