シニアNavi 岡山 vol.16 2014年冬号
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値教育で心がむしばまれる子どもたち。社会の常識、ましてや厳しさに適応できない若者。シニア世代においても、老人性鬱といわれるように、引きこもりや精神の偏りが見られます。智育、体育には力を入れても徳育といった心の教育をないがしろにしてきたばかりに、心が育たない社会になってしまいました。 禅宗では「心体一如」といって、心と体は本来ひとつという考え方があります。体の健康を求めるのなら、心の健康が大切です。また、心の健康のためにも体の健康を守ることも必要です。心の教育を忘れて、健全な成長があるとは思えません。 心を育てることが大切であれば、もちろん健康な体を育てることも重要です。最近では「食育」という言葉もよく聞かれますが、バランスのよい食事で体を育てようということです。ところが、最近の子どもたちは、ちょっとしたことで骨が折れてしまう。身体の弱さも問題になってきました。 我々が子どもの頃は、骨も丈夫で、骨折しにくいのはもちろん、少々のケガは平気でした。薬もつけずにいつのまにか治っていました。なぜならば、自然の中でのびのびと育てられていたからです。自然を相手に、おもちゃなどは持たず、自分の知恵で遊びを見つけ、走り回っていました。こうした自然との一体感を禅宗では「人境一如」と言います。 日本は偏差値教育ですが、偏差値教育は、世界で見ると、韓国と日本しか採用していません。偏差値教育とはどういうものか。例えばここに真っ赤なニンジンと土色のごぼうがある。どうみてもゴボウは汚れているように見える。そこで、「ゴボウよ、おまえは汚いので、明日からは真っ赤なニンジンになれ」と言っているようなものです。ゴボウにはゴボウの栄養があり、ニンジンにはニンジンならではの栄養価があります。それぞれの良さを殺してしまう偏差値教育では、過程よりも結果ばかりを追い求める、打たれ弱い人間しか生み出せません。幾つになっても人に必要なのは徳育教育です。「親を大切にしよう」「先祖を敬おう」「人々に感謝しよう」「生かされていることに感謝しよう」という当たり前のことに気づくことです。 我々は「自他一如」の存在です。今ここにいるのは、両親やご先祖のおかげです。そのご縁は永遠につながります。まさに、良きご縁に恵まれて、今ここに私たちは生きているのです。その当たり前のことに気づけば、生きていることに感謝し、他人の痛みを自分の痛みとして感じることができるはずです。これは、自分と社会との関係でもあります。私と社会は切り離せるものではなく、一つにつながる存在です。そう分かれば、全てに感謝の気持ちが湧いてきます。さまざまな事象を受け止めて、自然体で生きていくことができます。最後の最後まで命の幸せをかみしめて生きることができます。株式会社いのうえ 代表取締役社長 井上 峰一(いのうえ みねひと)氏倉敷市出身。1949年2月生まれ。花園大学文学部卒業後、1971年井上葬儀社入社、1985年から現職。2007年仏壇仏具販売の鵬林会長。2009年姫路・龍門寺において、妙心寺派管長河野太通老大師により得度を行う。法名「玄皓」。現在、倉敷商工会議所会頭、学校法人関西学園理事長、国家公務員共済組合連合会特約葬祭事業連絡協議会会長、倉敷ロータリークラブ会員。「新たな年は、幸福な一年にしたい」。と誰もがそう願っています。けれども、心がつまずくことが多い世の中。そこで今回は、「禅」の教えに注目をして、生きるためのよりどころとなる言葉を探ります。お話は、「玄皓」という法名をお持ちの井上峰一氏。Okayama Human Talk自他一如の境地げんこうにんきょういちにょじたいちにょしんたいいちにょ25Okayama Human Talk

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