シニアNavi 岡山 vol.23 2016年冬号
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 東京オリンピックへの期待が高まる昨今、オリンピックメダリストの卒業生数、全国3位を誇る高校が岡山にあることをご存じでしょうか。県内唯一の男子校「学校法人関西学園」です。明治時代に薬学校として出発した学園は、平成29年に創立130周年を迎えます。 この130年間、卒業生は五万人近くにもなり、スポーツ界のみならず、各界の有名人を輩出しました。その中でも財界人として名をはせたのが土光敏夫氏。平成28年は土光氏生誕120年。記念のシンポジウムなども開催され、その名前を懐かしく思い出された方もおられたことでしょう。 明治29年に岡山県御野郡大野村(現在の岡山市北区)で生まれた土光氏は、大正5年に関西中学(現在の関西高等学校)を卒業し、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)に進学。卒業後は東京石川島造船所(現在のIHI)に入社。石川島芝浦タービン、石川島重工業、東京芝浦電気(現在の東芝)の社長などを歴任し、経団連会長を務め、85歳の時には第2次臨時行政調査会(臨調)会長に就任して、「増税なき財政再建」に挑み「行革の鬼」と呼ばれました。 これほどの偉業を成し遂げた人物でしたが、実は関西学園入学までに、岡山中学(現在の岡山朝日高校)の受験に3度失敗し、大学入試でも一年の浪人生活を送り、代用教員をしながら大学進学を果たしました。最近は、少々の失敗で心が折れる若者が多い時代ですが、ぜひ土光氏をお手本に、へこたれない人生を歩んでいただきたいと思います。 では、土光氏はこの不屈の精神をいかにして培ったのでしょうか。まず土光家は日蓮宗の家柄で、土光という姓は、法華経の浄土である「常寂光土」の〝光土〞を逆にしたという説もあるそうです。その土光家に嫁いだ敏夫氏の母である登美さんも、熱心な信者でした。勅命山日應寺のご住職である山本勝也氏のお話によると、登美さんは子どもたちにも、小さい頃から法華経を教えていたそうで、仏の教えが身についた土光さんは、どんなに忙しくても朝4時半に起床し読経を行ってから出勤したといいます。 この登美さんは、70歳の時に子女教育を行うと宣言し、「橘女学校」を開校しました。ところが、その3年後に他界。土光氏が学校経営を受け継ぎ、その収入の大半を学園につぎ込みました。それもあってか、清貧の財界人というイメージが強く、行革のさなかにNHKで放送された土光家の食卓は、メザシを主とした粗食であったことから、「メザシの土光さん」という異名までとりました。 いくら財界のトップに上り詰めても、贅沢におぼれず人年末年始特集インタビュー母が伝える仏の教え生誕120周年から創立130周年へまくじきここに生きる幸せ驀直に進めかんぜいどこうとしおじょうじゃっこうどOkayama Human Talk22

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