シニアNavi 岡山 vol.23 2016年冬号
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 「〜長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」。松尾芭蕉「おくのほそ道」(写真1)の結びの句です。この年、元禄二年(1689年)九月、第四十六回遷宮が執り行われています。芭蕉は内宮の式典には間に合わず、外宮の式典だけを拝することになりますが、「尊さに皆おしあいひぬ御遷宮」とその様子を詠んでいます。既にその当時、遷宮の日程は主要都市や街道筋に立てられた高札(写真2)で全国に知れ渡っており遷宮は国民的行事になっていたのです。私たちは「式年遷宮(定期的に行われる遷宮)は過去から現代まで古制がそのままの状態で続いている」と思いがちですが、遷宮期間の変更や途絶など、実際にはその時代々々によって制度や祭儀が大きく変化しつつ、現代まで奇跡的にその制度が継続しているのです。六十年ごととされている出雲大社の式年遷宮も、神殿の倒壊、本殿の耐久性などの事情により、何時もそれ以前に造替えがなされています。  王政復古を実現され近代国家への道を拓かれた第百二十二代天皇「明治天皇」。第五十五回式年遷宮のあった明治二年、明治天皇は遷宮工事の途中に伊勢神宮を御親拝されました。神宮建立後、約千年もの間に在位中の天皇が参拝されたのは明治天皇が初めてといわれており、史上前例のない画期的なことだったのです。明治天皇はまた、遷宮当日には東京城(旧、江戸城)内の御庭から遙拝されたともいわれています。かつては民力に頼ることもあった遷宮が、これ以降、国家的遷宮制度として神宮と当時の宮内省を中心に模索されていきます。明治二十二年度の遷宮では、「古制に復した遷宮を執り行い、維新の達成にふさわしい遷宮制度回復を実現すべき」とする神宮側からの働きかけで、明治政府は内務省に遷宮のための恒久的な組織を置き遷宮制度の見直しを行います。この明治二十二年度遷宮を端緒に、国家的な官制を整え国費支弁により取り組む本格的遷宮、つまり「近代の遷宮制度」に移行していくのです。 遷宮を行うにはその準備だけでも八年を要します。明治最後となる明治四十二年度遷宮は、準備期間中の明治三十七年二月に日露戦争が勃発、経済的に行き詰まることになります。ちなみに、日露戦争は明治三十八年一級建築士「近代建築施工技術史研究会」会長。明治・大正・昭和初期までに開発された建築施工技術とそのルーツを調査研究。特に「伝承されなかった幻の建築技術」の発掘をライフワークとし全国行脚中。行って発見 !見て感動 !児玉 博文文・写真アイ・デザイン株式会社設計部・部長建造物からひもとく歴史見聞録建築士児玉 博文の伊勢神宮とコンクリートながつきむいか明治天皇の登場と近代の遷宮遷宮とコンクリートはじめに写真2写真1UGコラム24

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