シニアNavi 岡山 vol.26 2017年夏号
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村江の戦いで大敗します。唐・新羅軍の侵攻の脅威に対する防衛体制強化の為に築かれた代表的な城が「水城」です。全長1.2㎞の大堤を築き、堀にした事からその名前が付けられたといわれています。この大堤は今も残っています。この土塁には東西に門が設置されていました。その門の痕跡を礎石から伺い知る事が出来ます。また、昔からこの礎石の正体が謎とされ「鬼の硯石」と呼ばれ昔から名所になっていたのです。つまりこれらの礎石に穿たれた丸と四角の掘り込みには其々使い道が有ってあけられていたのですが長く謎だったのです。  水城北石垣城門跡から「扉の軸受け金物(鋳物)」が出土し、漸く礎石に穿たれた彫込み穴の意味(使い方)が解明されたのです。Vol.16そんこうみずきすずりいしうがおおつつみ※注1/版築工法とは 古代から比較的最近まで採用されていた工法で土を突き固める事で堅固な土壁や建築の基礎を築造する工法であり、「万里の長城」にも採用され、我国でも法隆寺をはじめとする社寺建築や数多くの土木工事に採用されている。※注2/「パンテオンを見ずしてローマを去る者は愚者なり」という言葉がある位に古代ローマを代表する圧倒的な存在感を放つ神殿。「鬼ノ城」西門遠望「鬼ノ城」西門遠望「鬼ノ城」西門「鬼ノ城」西門水城之碑水城之碑水城東門礎石水城東門礎石東門柱跡東門柱跡方立穴方立穴扉軸受穴扉軸受穴発掘された扉軸受金物(水城北石垣門出土)現在に残る土塁跡(写真手前に堀があった)筑前名所図会に「鬼の硯石」と紹介礎石の丸と四角の掘り込みは長く謎とされていた17UGコラム23UGコラム

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